[4] 非磁性基底状態をもつスピンギャップ系の磁場と圧力による量子相転移

目次

4-1 磁場誘起磁気秩序とtriplonのBose-Einstein凝縮

ボース・アインシュタイン凝縮 (Bose-Einstein condensation: BEC) は,整数スピンをもつ粒子 (ボース粒子) の集団が示す最も顕著な巨視的量子現象で,自然界ではヘリウムの超流動やクーパー対のボース凝縮による超伝導が知られています.また,レーザー冷却された原子のBECの研究がノーベル賞を受賞するなど,話題を集めています.私達が開拓したスピンダイマー系TlCuCl3においても,磁場誘起相転移に伴いtriplet励起(準粒子triplon,或いはmagnon)のBECが起こることが分かりました.KCuCl3とTlCuCl3では,強い反強磁性ダイマーがあり,これが反強磁性的ネットワークを組んでいます.私達はTlCuCl3において,励起ギャップが閉じる臨界磁場以上の強い磁場を加えると,磁化をもつ反強磁性状態に相転移を起こすことを見出しました.(東大物性研,フランスCEA-Saclay,原子力機構,ドイツHahn-Meitner研,上智大,東北大金研,ドイツBraunschweig工科大などとの共同研究)

ダイマーのsinglet状態を真空に,磁場と共にエネルギーレベルが下がるtriplet励起の一つをボース粒子triplonに置き換えると,図21(a)のように, 系は斥力を及ぼし合うボース粒子系として表すことができます.ここで磁場は化学ポテンシャルに,磁化は粒子密度に,磁化率は圧縮率に,そして部分格子磁化の垂直成分は凝縮体密度に対応します.いずれも測定可能な量です.磁場が臨界磁場よりわずかに上では,興味ある温度領域で常にボース粒子の密度が小さくなるために, 磁場誘起相転移は希薄なボース粒子のBECと捉えることができます.実際の質量をもつボース粒子のBECと違いは,準粒子であるtriplonの場合は粒子の数が自然に変化するという状況でのBECであることです.実際のボース粒子系では化学ポテンシャルを制御することは大変難しいことですが,本系では磁場を変化させるだけで化学ポテンシャルを制御することことができます.従って相転移温度の化学ポテンシャル依存性や粒子密度の温度依存性を磁気測定から容易に知ることができます.TlCuCl3で観測した相転移温度で磁化が極小になる磁化の温度依存性(図21(b)参照)はtriplonのBEC理論の結果と良く一致します.図22(a)は臨界密度(相転移温度での磁化)の温度依存性を示したものです.また,図22(b)は磁場と相転移温度の関係を示したものです.両方の図の実線は実験で測定された磁気励起の分散関係を用いたtriplonのBEC理論です.実験結果と理論とが大変よく一致していることが分かります.

磁場中でのtriplonの運動と相互作用,TlCuCl3の磁化の温度変化
図21 : (a)は磁場中でのtriplonの運動と相互作用.(b)はTlCuCl3の磁化の温度変化.
TlCuCl3の臨界密度の温度依存性と,磁場と相転移温度の関係
図22 : (a)は臨界密度の温度依存性,(b)は磁場と相転移温度の関係.記号は実験結果で実線は実験で求めたtriplonの分散関係を用いたBEC理論.

この他にTlCuCl3では,熱伝導率が相転移温度以下で急速に増大するというヘリウムの超流動転移に伴う超熱輸送を彷佛させる現象も観測されています.更に超音波減衰の磁場依存性も調べられ,triplonのBECの観点からよく説明されることが分かりました.このように 強磁場中のスピンギャップ系の磁場誘起相転移はBECの重要な例の一つとなります.実際に質量をもつ粒子ではない準粒子triplonでもBECを起こすということは,BECが普遍的な物理現象であることを示すものです.従って,スピンギャップ系の磁場誘起相転移はBECと磁気相転移の両方の分野にまたがる新しい研究分野です. 今後の研究の展開として最も重要と考えられる事は,triplonのBECに伴って生ずる超流動現象を発見する事です.この現象は摩擦のない磁気の流れで,まだ発見されていない新しい物理現象です.

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4-2 圧力誘起磁気秩序と新奇な磁気励起(Higgsモード)

私達はスピンギャップ系TlCuCl3とKCuCl3に静水圧を加えると,ギャップが閉じて反強磁性相転移が起こることを見出しました.これは圧力によって量子力学的基底状態が変わる量子相転移で,スピンギャップ系で初めて観測された現象です.図23(a)はTlCuCl3の圧力下磁化曲線です.図23(b)のように,圧力を大きくするとギャップが閉じる臨界磁場は小さくなり,臨界圧力 (Pc ≈ 0.4 kbar) で臨界磁場は0になります.この臨界圧力以上では反強磁性状態に特有のスピンフロップ転移が観測されます.また,図23(a)の挿入図に示したように,臨界圧力では磁化は磁場の3乗に比例します.臨界圧力以上の圧力では磁気相転移が起こり,図23(c)のように,転移温度TNは圧力と共に大きくなります.この磁気相転移は図23(c)の挿入図のように,磁化率の温度変化に現れる異常で判別できます.(東大物性研との共同研究)

TlCuCl3の圧力下磁化曲線と,臨界磁場Hc・磁気秩序温度TNの圧力依存性
図23 : (a)はTlCuCl3の圧力下磁化曲線.(b)はギャップに対応する臨界磁場Hcの圧力依存性.(c)は臨界圧力以上での磁気秩序温度TNの圧力依存性.

圧力誘起量子相転移は圧力によって,3重縮退したトリプレット励起がソフト化するために起こります.TlCuCl3では臨界圧力が小さいために,ダイマー内交換相互作用とダイマー間交換相互作用がどのような圧力変化をするのか判別することが難しいのですが,同じ結晶構造をもつスピンダイマー系KCuCl3の磁化率と磁気励起の分散関係の圧力依存性の測定から,圧力を上げるとダイマー間交換相互作用は大きくなり,ダイマー内交換相互作用が小さくなることによってトリプレット励起のエネルギーが小さくなることが分かりました.図24はKCuCl3の常圧と4.7 kbarでの分散関係の測定結果です.圧力による明瞭なトリプレット励起のソフト化が見られます.KCuCl3のギャップが閉じる臨界圧力は8.2 kbarです.(東大物性研,原研との共同研究)

KCuCl3の常圧及び圧力下での分散関係
図24 : KCuCl3の常圧(破線)と4.7 kbar(実線)での分散関係.

TlCuCl3の圧力誘起量子相転移の発見を契機に理論研究が進み,磁気励起の理解が進みました.以下にその概要を記します.臨界圧力で励起モードの再編成が起こり,臨界圧力以上では2つの位相モードと1つの振幅モードが生じます.位相モードは古典的に考えるとスピンの平衡状態の周りの歳差運動で,通常の反強磁性体のスピン波と同じモードです.これに対して振幅モードはスピンの長さ方向の振動で,通常の反強磁性体では消滅して無視されるモードです.この振幅モードが臨界圧直上では位相モードに匹敵する強度もちます.圧力を上げると振幅モードの励起エネルギーは増加し,それに反比例して強度は小さくなります.例えて言えば,この圧力誘起量子相転移はビッグバンならぬスモールバンで,その直後に粒子と同程度あった反粒子が時間の経過と伴って消えていくようなものです.この新奇な振幅モードはスイスのグループによって確認されました.

圧力誘起磁気秩序のように,相転移を特徴づける秩序変数が複素数でΨ = |Ψ|exp(iφ)のように表される場合には,秩序変数を決定するポテンシャルVは量子臨界点の前後で図25のようになります.圧力Pが臨界圧力Pcより小さい場合には,ポテンシャルの安定点はΨ = 0ですが,P > Pcでは半径|Ψ|の円周上に移ります.この円周方向に沿ったΨの振動が励起エネルギーを要しない位相モードです.一方,Ψの振幅|Ψ|の振動は有限の励起エネルギーを要します.これが振幅モードです.量子臨界点直上では半径|Ψ|の円周上に現れる安定点の深さが浅いので,振幅モードの励起ネルギーは小さくなり,実験で観測できるようになります.図25(b)のMexican hatの形をしたポテンシャルは素粒子物理学で知られているHiggs場のポテンシャルと同じものです.また,位相モードはNambu-Goldstoneモードに振幅モードはHiggsモードに対応します.TlCuCl3で観測された振幅モードは,固体中で明瞭に観測された最初のHiggsモードです.固体中でのHiggsモードの発見は物理現象の普遍性を端的に表しています.

秩序変数が従うポテンシャル(Higgsポテンシャル)
図25 : 秩序変数が従うポテンシャル(Higgsポテンシャル).(a)はP < Pcの場合で(b)はP > Pcの場合.(b)で安定な円周上を円周方向に振動する位相モードがNambu-Goldstoneモードであり,半径方向に振動する振幅モードがHiggsモードに対応する.
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4-3 大きな単イオン異方性をもつ系の量子相転移

基底状態がスピンsingletになるのはスピンダイマー系以外にもあります.大きな容易面型の単イオン異方性D(Sz)2がある場合にも起きます.この場合の磁気励起はSz = ±1のdoubletになります.ここではこれをmagnonと呼びます.CsFeCl3は六方晶ABX3型の結晶構造を持つ物質です.基底状態は容易面型の単イオン異方性のためにスピンsingletになります.私達は静水圧下でCsFeCl3の磁化測定を行い,磁場と静水圧を加えると励起ギャップが閉じ,磁気秩序相への量子相転移が起こることを見出しました.図26にCsFeCl3の静水圧下での磁気相図と静水圧下での励起ギャップが閉じる臨界磁場の圧力依存性を示します.

CsFeCl3の静水圧下での磁気相図,静水圧下での臨界磁場,臨界圧力以上の圧力下での磁気相転移温度
図26 : (a) CsFeCl3の静水圧下での磁気相図.磁場はc軸に平行.(b) 静水圧下での臨界磁場(励起ギャップ)の圧力依存性と臨界圧力以上の圧力下での磁気相転移温度の圧力依存性.

MagnonのBEC理論では,T = 0近傍での相転移磁場Hc(T)と温度の関係はHc(T) − Hc(0) ∝ Tϕのように冪乗則で表され,臨界指数はϕBEC = 3/2になります.私達はこの臨界現象をCsFeCl3と同じ結晶構造をもつCsFeBr3で検証しました.図27(a)と(b)は磁場をc軸に加えて測定したCsFeBr3の比熱の温度依存性を磁場依存性です。CsFeBr3では磁化の値が磁場方向によって大きく異なるために,磁場中で大きなトルクが試料に働き,結晶のc軸が磁場に垂直になろうとします.本実験ではVan Vleck常磁性磁化率が異方的でかつ値が大きなBa2CoSi2O6Cl2の結晶2個を図27(a)の挿入図のように試料プラットホーム取り付け,これに働く大きなトルクを利用してCsFeBr3c軸が常に磁場に平行になるようにしました.図27(a)と(b)に示されたように磁気相転移を表す明瞭な比熱のピークが観測されます.図27(c)は比熱測定で得られた常磁性相と磁場誘起磁気秩序相の相境界です.実線は上記冪乗則をフィットした結果で,これより臨界指数はϕBEC = 1.5と求まります.また,図27(d)は相転移磁場と温度のlog-logプロットで,これからもϕBEC = 1.5が得られます.以上のように,スピンギャップ系の磁場誘起磁気秩序はtriplonやmagnonのBECとして良く説明できることが分かります.

CsFeBr3の比熱の温度・圧力依存性と相境界線
図27 : 磁場をc軸に加えて測定したCsFeBr3の比熱.(a)は温度依存性で(b)は磁場依存性.(c)実験で決定したCsFeBr3の相境界線.実線は本文中の冪乗則をフィットした結果.(d)は相転移磁場と温度のlog-logプロット.
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4-4 スピンダイマー系での交換相互作用のランダムネスとtriplonのボースグラス相

前に述べましたように,磁場中のスピンダイマー系は相互作用をするボース粒子triplonの集団として記述できます.このとき,ダイマー内交換相互作用はtriplonのポテンシャルの役目をします.ですから,ダイマー内交換相互作用にランダムネスがあるとtriplonはランダムポテンシャルを受けます.ポテンシャルにランダムネスがない場合に,ボース粒子の化学ポテンシャルを変化させると,基底状態にはMott絶縁体(MI)とBEC相しか現れません.スピンダイマー系でこのMott絶縁体相はギャップのある非磁性singlet状態に,BEC相は磁場誘起秩序相に対応します.ここで,ボース粒子がランダムポテンシャルを受けると,図28(a)に示したように,Mott絶縁体とBEC相の間に新たにボースグラス(Bose glass)相が生ずることが理論的に知られています.ボースグラス相ではボース粒子が局在するために系は絶縁体になりますが,励起ギャップが無いので,圧縮率が有限になります.スピンダイマー系に焼き直すと,ボースグラス相では磁気秩序は無いにも拘わらず,磁化率が有限になります.また,図28(a)に示したように,絶縁体相とBEC相の相境界線が,ランダムネスが無い場合には下に凸ですが,ランダムネスが有ると,直線か上に凸になることが理論で予言されています.

この新しい基底状態と臨界現象を調べるために,私達はTl1-xKxCuCl3の低温磁性を様々な実験で調べました.TlCuCl3とKCuCl3とではダイマー内交換相互作用が異なりますので,それらの混晶系Tl1-xKxCuCl3では,triplonのポテンシャルにランダムネスが入ります.1.8 Kで測定したTlCuCl3の磁化曲線はギャップが閉じるまでの低磁場では殆ど傾きがありませんが,Tl1-xKxCuCl3の磁化曲線は低磁場で明らかに有限の傾き,すなわち有限の磁化率をもちます.これはボースグラス相の性質と矛盾しません.また,図28(b)に示されたように,TlCuCl3の相境界線は下に凸の形をしていますが,Tl1-xKxCuCl3での相境界線は直線的でやや上に凸になっています.これも理論で予言されているボースグラス相とBEC相の相境界線の特徴に一致しています.更に,臨界磁場以下の低温でtriplonがランダムポテンシャルによって局在することがESRスペクトル線形の解析から分かりました.(東北大金研との共同研究)

Tl(1-x)KxCuCl3の磁気相図の概略
図28 : スピンダイマー系で交換相互作用にランダムネスがある場合の磁気相図の概略.Tl1-xKxCuCl3 (x = 0, 0.22, 0.36)で観測された低温での相境界.
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4-5 スピンダイマー系での不純物誘起磁気秩序

スピンギャップ系に少量の非磁性不純物を入れると,反強磁性相転移が起こることがCuGeO3をはじめとして多くの物質で発見されていますが,私達もTlCuCl3とKCuCl3に非磁性イオンMg2+を少量加えると反強磁性相転移が起こること発見しました.この現象は「寒い冬の湖に石を投げると,一面に薄く氷が張る.」ことに例えることができる面白い量子現象です.図29(a)はTlCu1-xMgxCl3の磁化率の温度依存性です.Mg2+が入った試料で見られる低温磁化率の折れ曲がりは,非磁性不純物によって磁気相転移が起こったことを表しています.図29(b)に示したように,少量の非磁性イオンで磁性イオンを置換すると,シングレットダイマーが壊れて不対スピンが生じます.この不対スピンが壊れていないダイマーのトリプレット励起を媒介とした有効交換相互作用Jeffで結ばれているために,相転移が起こると解釈されています.有効交換相互作用は壊れていないダイマーのギャップの指数関数で表されますので,ACu1-xMgxCl3では圧力によって有効交換相互作用を制御することができます.このような視点から,不純物誘起反強磁性相転移の理論の検証を行っています.

(a)TlCu(1-x)MgxCl3の磁化率と(b)不対スピンと有効交換相互作用
図29 : 不対スピンと有効交換相互作用.横線はsinglet状態のダイマーを表す.

また,私達は不純物誘起反強磁性相の磁気励起を調べ,通常は大きな温度変化を示さない励起エネルギーが相転移温度以下で大きくなっていくことを見出しました.これは不純物誘起反強磁性相転移によって,壊れていないスピンダイマー上に小さな交替磁場が発生するためであると理論的に解釈されています.

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